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死んだ不死鳥

あるところにあるところにジェシー・リバモアという冷酷なアンちゃんがいました。
もうそりゃそのアンちゃん振りを知ったらやるせなくなりますよ。
しかも、ストイックすぎて家庭を顧みないアンちゃんですよ。
最後は結局、ピストル自殺を遂げるという悲惨な結末が待っています。
それでも彼は失敗しては立ち上がり、失敗しては立ち上がった不死鳥のような男です。
私から言わせればリバモアはヒーローだよ。もう伝説だよって感じです。

 そんな彼の人生を見てみるとしますか。
見たくない?いや見たいですよね?
どうなんすか、そこんとこ。いやいやきっと見たいはずです。
そう信じてちょっとやそっと書いてみることとしますー。

リバモアは1877年にアメリカのどっかに生まれました。
正直言ってどこに生まれたってどうでもいいですよね。
さっさと早足で進めますか。

 親父に農家になれと言われるが
「インテリになりたいんやー」と叫んで家出。
ボストンに逃亡することとなります。
ボストンではリバモアはチョークボーイという職業に着きます。
なんか嫌らしそうですが、ただ株価を黒板に書き込むだけッすよ、ホント。

 いつの間に変動感覚が出来上がったのか知りませんが、
成長したリバモアは非合法の市場で大暴れ、ぼろ儲けしました。
明らかにリバモアはここらあたりから調子に乗りますよ。
このまま「正規の市場でもやったろうやんけー」となって
殴りこみましたが、あえなく敗退。
敗因はあんた、そりゃ決まってるよ。
非合法と正規の市場に決定的なレベルの差があったのさ、と
かっこつけたいところですが、実は約定されるまでのタイミングに違いがあったのです。
まぁ簡単に言えば非合法は早かった、正規は遅かったってことです。
簡略化しすぎ?いやいやそこは多めに見てください。
もうなんか長々と言ったら文章が増えすぎますからと言いつつも
この言葉が文章増やしとるやんけーと突っ込まないで下さい(笑)

 話を戻しますがその後も非合法で儲けては正規で
散るという圧倒的な不死鳥魂を発揮していきます。
非合法でのさばってればいいものを、小童が。
いやいや、リバモアが憧れたのは正規の市場のでかさです。
儲ける額が違うのです。ええ、そりゃもうケタが違いますよ。
非合法でチマチマやるぐらいなら正規でリバモアは散りたかったのです。

 リバモアはそんなことをバカみたいに繰り返してたんですが、
リバモアは実は賢かった・・・・・どんどんと成長して行き、31歳の時にとうとう・・・・
とうとう頂点を極めました!おおおーーー
なんと莫大な空売りによってアメリカの証券市場がぶっ飛ぶほどのポジションを
手に入れてしまったのです。なんてこったですよ。ていうかそんなポジションほすぃーよ。

 このままじゃ、まずいということで金融王のJP・モルガンが直々に会いに来て
「これ以上の空売りやめなされ、そうじゃないと市場が崩壊してしまう・・・」
と言わせてしまいました。うおおおーー頂点だ、本当に頂点だ。
リバモアのアンちゃんすげぇや、本当にすげぇや。
あまりにも興奮してしまいましたが、本人はもっと興奮していたことでしょう。

 「おいおい、今の俺なら商品市場もお手の物やんけ」
と言いつつリバモアのアンちゃんは調子に乗ってしまうのです。
明らか畑違いです。商品相場の住人から言わせれば、
「ほざけっての」なぐらいの調子の乗りようです。
そのまんま、特攻を仕掛けて美しくリバモアのアンちゃんは散りました。
 もう何回目の破産だろうか、考えたくも無い、そう言いたくなるような破産回数でした。
何度も調子に乗っては倒れては起き、倒れては起きる、リバモアは自分は大好きです。
だって彼は相場師の希望だもの・・・・人間は何回倒れたってやり直せる、そう信じさせてくれました。
だから自分はきっとリバモアが好きなのだと思います。

 そんなこんなでとうとう最後の大勝負、あの大恐慌が来ます。
その前に時代背景を少しだけ、当時、世界は好景気に沸きに沸いていました。
アメリカ市場の株価は暴騰に暴騰を重ね、それでもみんな上がると信じていました。
そんな中で一人だけ下がるとつぶやく男がいたのです。
それが熟練の相場師となったジェシー・リバモアでした。
彼の研ぎ澄まされた相場観は当時の人々の強欲を射抜いていました。
いずれ人は冷めて真実に目を向ける。リバモアはそう考えていたのです。

 1929年9月26日、イギリスの金利が引き上げられ、アメリカの金利と逆転します。
冴え渡るリバモアはこの事実を前にピンと来ます。

「明らかに市場は過剰に動きすぎているし、イギリスは金利を引き上げた。
アメリカからイギリスに資本が流れることになるのは必至。これが意味するところは株価の暴落一点のみ!」

圧倒的な相場観は時代の歯車さえも読みきっていました。
この後、大恐慌になるのは承知の通りです。
しかしその前にリバモアは優秀な相場師であると同時にあまりにも目立ちすぎていました。
彼の空売りは投資家たちに知れ渡ります。世界恐慌が起こることになる朝、
投資家たちはリバモアに空売りをやめるよう手紙を出します。

またもやリバモアはピンと来るのでした。

「投資家たちが動揺している?
だとするならこれはむしろチャンスだ
更に空売りを重ねて儲けを増やさねば」

その冷徹さがゆえに脅迫状や懇願の手紙もチャンスだとすら思ったのです。
冷酷さがここで完全に表現されています(笑)

 そしてとうとう人々が全てを失う、その時が来ます。
1929年10月24日の木曜日、10時25分ジャネラルモーターズの
株価が80セント下落したのをきっかけに株価は大暴落します。
アメリカの株価が暴落することによってアメリカ経済に
依存していた世界は壮絶な影響を受けるのでした。

人類が今までに経験したことのない大規模な恐慌は世界を悪夢に陥れたのです。

 その日を人々はこう呼びます。
「暗黒の木曜日(Black Thursday)」と。

 リバモアは確かに莫大な利益を上げることになったのですが、
彼が手にした利益は投資家たちを自殺に追いやって
手に入れたお金だということを忘れないで下さい。
その時のリバモアの年齢は52歳。

 その後の彼は何かに取り付かれたかのように狂いだし
その5年後、1934年に57歳でまたもや破産(4回目)
1940年にピストル自殺をして、非業の生涯を終えました。

不死鳥でさえも死んでしまう
それが相場なのです。
だからこそリスク管理ほど最優先すべきものはありません。

彼の失敗に学ぶべきものは一杯ありますね。
参考になれば幸いです。


(構文を柔らかくしてみました。)



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